KADOKAWA Group

トップページ

卒業生・講師紹介

HOME > 卒業生・講師紹介 > 卒業生紹介 > 相原 一博

卒業生紹介

デジタルアーティスト
相原 一博 Kazuhiro Aihara
PROFILE
1979年埼玉県生まれ。
2001年明治学院大学経済学部経営学科在学中、バンタン短期講習を履修しグラフィックデザインを学ぶ。
2002年明治学院大学経済学部経営学科卒業。
2003年横浜にてアパレルセレクトショップを運営。
2005年DesignTide実行委員会就任。
2006年株式会社ジョージズファニチュアCIBONE(現/株式会社ウェルカム)入社。
2008年グラフィックデザイナーとして小規模広告代理店に入社。
2010年~現在自身のクリエイティブスタジオ『春十舎/SHUNTO-SHA』設立。主宰。

ポートフォリオ:
オフィシャルWeb
http://shunto-sha.com

略歴:
2005年頃からグラフィックデザインを独学で学び始め、2010年よりグラフィックアーティストとして広告デザインを中心に、ファッション、インテリアなどの分野でキャリアを本格的にスタートする。2014年頃より、手がけた作品は、国際ポスタートリエンナーレ富山(日本)、台湾国際グラフィックデザインアワード(台湾)、モスクワ国際グラフィックデザインビエンナーレ(ロシア)、ブルノ国際グラフィックデザインビエンナーレ(チェコ)、トルナヴァポスタートリエンナーレ(スロバキア)、ラハティ国際ポスタービエンナーレ(フィンランド)、エクアドルポスタービエンナーレ(エクアドル)などの国際展覧会に招待され、また主要な作品は富山県美術館(日本)をはじめ、国立モラヴィアギャラリー(チェコ)などに永久収蔵されている。2018年頃より活動の拠点を海外へとシフトし、新進気鋭の若きビジュアルアーティストとのコラボレーションを多数手掛ける。特筆すべきはフリーランスでありながらグローバルな大企業Warner Music(UK,オーストラリア)やUniversal Music Group(アメリカ)と契約を交わし、所属アーティストであるJess GlyneやPertoといった世界的なアーティストたちのロゴワークを手掛けている。またファッションやアートカルチャー誌TUNICA MAGAZINE(アメリカ)、King Kong Magazine(ドイツ)などにカバーロゴアートやエディトリアルを提供、2019年から2020年に渡るNIKEグローバル(アメリカ)とファッションブランドSACAI(日本)によるコラボレーションのグラフィックキャンペーンビジュアルが大きな反響を呼ぶ。同年、日本人アーティストKOHHがプロデュースするコンセプトストアDogsでの個展やコラボレーションを行い、ファッションブランドACRONYM(ドイツ・アメリカ)やP.A.M.(オーストラリア)へアートワークを提供している。2021年よりNFTアーティスト/デジタルアーティストへと自身の活動を完全に移行し、TezosやEthereumベースの海外マーケットプレイス(Teia, Foundation, Openseaなど)にてデジタルアート作品を発表している。Photoshopのみを使用したモーショングラフィックス、ビデオアートでその独特な作品スタイルがシーンの注目を集めている。黎明期からNFT界の世界動向を知る数少ない日本人であり、世界最先端のクリエイターたちに影響を与えることのできるデジタルアーティストとして進化し続けている。

主なクライアント(2018~2020):
NIKE/USA
Warner Music/UK and Australia
Interscope Records/Universal Music Group/USA
ACRONYM®/USA and Germany
Perks and Mini/Australia

主なNFT出品マーケットプレイス:
Teia/Tezos
Objkt.com/Tezos
Foundation/Ethereum
Opensea/Ethereum
  • デザイン&フォトグラフィ
MESSAGE
僕はこの世界に入る前、プロのスノーボード選手を目指していました。しかし、天才的な実力を持つ新人が出てきたことや怪我をしたことなどが重なり、大学時代にその目標に見切りをつけたんです。これからどうしていこうか考えていた時、音楽をやっている友人のフライヤーをデザインする機会がありました。デザインなんてやったこともなかったし、家には父親のWindowsが一台あるだけだったにもかかわらず、引き受けてしまったんです。なんとか完成したフライヤーを見た友人が、意外にもすごく喜んでくれて、この世界でならプロになれるかもしれないと思いました。僕がデザイナーの道に進んだのは、それがきっかけです。

しばらくは独学でデザインをしていましたが、プロになるための正しい知識を学ぶ必要性があると感じ、この学校に入学しました。「ここでしっかり学び取ることができなければ、デザイナーとしての未来はない」という気持ちから、当時はとにかく必死でした。大学とのダブルスクールでしたが、両立しやすい短期集中型のカリキュラムのおかげで、デザイナーとしての土台を築き上げることができたと思います。

30歳までには自分の名前で独立しようと決めていたので、自分や作品をもっと世の中に広く知ってもらおうと世界中の様々なコンペティションに応募しました。そして入選した作品が展示されている会場へ直接足を運び、どんな人々が自分の作品に興味をもち観に来てくれているのか、世界各国をまわって研究していました。しかし次第に、それがマネタイズにはつながらないということがわかりました。さらに色々調べて研究していくうちに、SNSの活用が個人のクリエイターが世界にアピールできる有力な方法だということがわかってきたんです。待っていても誰かが偶然気づいてくれることは少ないので、とにかく自分から動くことが大切だと思っています。

僕は今、グラフィックアーティストとして日本を拠点に世界中で活動しています。主に国外での活動を選んだのは、表現者でありたかったから。グラフィックデザインを通して自己を表現するということが日本では難しかったため、世界へとマーケットを広げようと考えました。実は今の仕事のほとんどは、Instagramから取ってきているんです。世界的な企業やブランドが、個人で活動するデザイナーやアーティストに対し、InstagramなどのSNSを通じてオファーしているということに気づき、まずはInstagramをちゃんと自分の作品のポートフォリオとして活かし、フォロワーを増やすということに着手しました。NIKEやUniversal Music Groupとの仕事ができるようになったのはそれからです。例えばNIKEの場合は、「この企業から絶対に仕事を取ってやる」という狙いを定め、彼らの目に留まるように作品を発信し続けました。すると、ある時NIKEのクリエイティブディレクターの方からDMで仕事の話を持ちかけられたんです。そんなふうに広がっていき、今では世界中のアーティストや企業から僕のアカウントに直接オファーのDMが来るようになりました。

ちなみに僕は、英語がほとんど喋れません。それでもこうして国外で仕事ができています。海外に出ることって、一見すごく大掛かりで無謀なことに思えるかもしれませんが、実はすごく簡単なんです。スマホ一つで世界中と繋がれる時代、僕たちの手の中に全てがあるのに、1億2000万人だけをターゲットにするなんてもったいなくないですか?皆さんにも、世界に挑戦することを難しいなんて思わないでほしい。ちょっとした勇気で、自分をアピールするための舞台が78億人という規模に広がるんですから。

僕にとって、スノーボードでプロになれなかった挫折はかなりショッキングなものでした。だから、次に挑戦することに関しては「絶対に誰もがプロと認めるレベルまで登り詰めたい。世界一になりたい」と思っていました。アスリートなら誰しも、「世界一になりたい」という夢を抱くものです。僕は、心はアスリートのままこの世界に入ってきてしまった。だから今も、目指しているのは世界一のグラフィックアーティスト。ビジュアルアートの歴史に名を残すことが夢なんです。笑っちゃうような目標かもしれないけど、僕はそのために生きています。

pagetop